推しのライブを観てきたオタクの妄言ポエム集

推しのライブを観てきた。

以下は正気を失ったままのオタクが綴る限界ポエムなので、合法のシャブを浴びておかしくなってしまっているんだなぁ……という憐みの目をもって読んでもらえると互いの精神のためにもいいと思う。

なお、このブログではたくさんの「推し」の話をしてきたように思うが、今日の記事にある推しは全て「実在している成人男性」を指す。彼の名前は(いささかばかり気恥ずかしいので)伏せさせてほしいし、特定できたとしても胸の奥にしまっておいてほしい。

 

 

言いたいことは二億個ほどあるのだが、とにかく、めちゃめちゃに良かった。

何から書けばいいのだろう。良かったポイントを項目化すれば伝わるだろうか。

 

1.推し、あまりにもプリティ問題

読んで字のごとく、あまりにもプリティだった。

実は私は恥ずかしながらこれまで生で推しにあったことがなく、生きて動いている推しを見るのがほぼ初めてに近かったのだが、断片的な写真や動画から推察できるプリティ度の100000000000000000倍はプリティだった。

まず肌が白い。訳わからんくらい白い。前世は白雪姫だったのか?と思わざるを得ないほどに白い。思わずキンブレを握る自分の腕を見下ろしてしまったし、美白に向けた努力の意味を真剣に考えてしまった。

そして小さくて細い。全体的にサイズ感が♡小鹿ちゃん♡という感じで、あれはたぶん関取の私がタックルしたら肋骨くらいなら折れるんじゃないだろうか。ちなみに挙動も♡小鹿ちゃん♡という感じだった。21歳男性なのに。私(22歳女性)はトロールに育てられました!という感じの挙動なのに。

 

2.セトリが神

どんなにいいコンサートでもセトリがゴミだと「でもセトリゴミだったな……自担の顔は宇宙一良かったけど……」という気持ちにならざるを得ないが、セトリがマジマジのマジで良かった。

推しは結構いろんなジャンルの歌を歌ってくれるので、どういう歌が多いかな~とアルバムなどを聞きながら考えていたのだが、きゅるるん♡みたいな歌もバラードもオラついたロックも聞けて良かった。お得セットじゃん。

特にアンコールのセトリがKING OF GODで、これ聞きたい!と思っていた曲を聞かせてもらえたので本当に良かった。聞きたい曲を聞けたコンサート、絶対に最高の思い出になる説。欲を言うならもう何曲か聞きたい曲はあったが、公開が結構前なのでやらないだろうなとは思っていたし、ここ1年くらいの曲の中ならベストに近いセトリだったと思う。

ただオラついたロックで「頭振れ!!!!!!!!」と煽られた時は素直に困惑した。ヘドバンと縁のない人生を送ってきたオタクの立場も考えてほしい。一応振ってみたはいいが、終始「これは違うのでは……?」という疑問がぬぐい切れなかった。

 

3.シンプルに歌が上手い

歌を生業にしている人間の生歌が100パーセント上手いのかと問われると、まぁぶっちゃけそうじゃないよね、と言わざるを得ない。

そりゃあ人間なのだから調子が悪い日もあるだろうし、アイドルなんかは特に顔面が最大のセールスポイントなのだからビジュさえよければ多少音痴でも許容範囲だなと思えるのだが(※個人の意見です)、それはそれとして歌は上手い……というか、元音源に近いに越したことはないとも思う。許容範囲だと思えはするけどやっぱりソロパートがぐだぐだだったりすると聞いてて笑っちゃうときもあるし。

その点推しくんはよかった。歌声は音源とほぼ変わらなかったし、そんな体でそんな声量出る?ってくらいしっかり声が出ていた。滑舌もめちゃくちゃによくて、セリフの多い曲もきちんと歌いこなしていた。個人的にはオラついた曲での聞きなれないがなりが格好良くて好きだと思った。喉を潰さないように気を付けながら今後もたまにやってほしい。

 

4.ファンに向き合う姿勢

営業と言われればそれまでなのだが、本当に、本当に最高の男だった。

1曲目で小さい体でステージ中を駆け回って端から端まで手を振っていて、その時点で「ファンサが厚い……」と感動していたのに、そのあとも事あるごとに手を振り、飛び跳ねる。小さいことではあるが私たちがコーレスや歌に挑まねばならないときにはその都度きちんと教えてくれるのも自担の「みんな歌おうぜー(適当)」に慣れ切ったオタクには新鮮な挙動だった。可愛い。

あと観客に語り掛けるときに「みんな」じゃなくて「きみ」という言葉を選んでいたのも良かった。3000人近い観客がぎゅうぎゅうに押し込められた会場で、彼が「きみ」という言葉を選ぶとき、それが1/3000の私に向けられた言葉であるような錯覚が起こって、なんだか堪らなく泣きたくなることがあった。整理番号2260番台の私が彼から見えているわけはないのだけれど、あの時私と推しくんは確かにつながっていた、と、思ってしまった。ちょろいオタクなので。

 

5.アンコール

突然だが、私はコンサートの類でよく泣く。

生まれて初めて参戦したJのコンサートではラストの某曲でぼろぼろ泣いたし、キン〇リ(シンデレラではない方)のライブでは推しでもない香〇美タイ〇くんのソロ曲のイントロが流れた瞬間泣いた。あん〇んぶる〇ターズのライブでは毎回推しユニが登場するより先に気持ち悪いくらい号泣しているので、推しユニが出てきたときは逆に冷静になっているレベルだ。

だからまぁ、今回も泣くだろうなと思っていた。事実バラードではうるっと来たし、何ならバラードじゃなくても「生きてる……」と思って涙ぐんだり「優しい歌は世界を変える わかる あなたのことだよ……」と思って涙ぐんだりしていた。でも意外と涙はこぼれなかった。視界が揺らいで、鼻の奥がツンとして、それでおしまい。

なんだ、泣かずに済んだじゃん。

そう思った私がぱんぱんに腫れた目でりんかい線に乗り込む羽目になったのは、ひとえにアンコールのせいだった。

アンコールを受けて登場した推しくんは、歌うより先に話し始めた。こんなに大きな会場にこんなにたくさんのファンが集まってくれて嬉しいということ。前回のワンマンライブから1年経って、成長した分できることも自由にできないことも増えたこと。たくさんの人に見てもらえるようになった分、思うようにいかないことだとか、自分の声が上手く届かないことが増えてしまったこと。この1年も、それより前の人生も、たくさんつらいことがあったこと。頑張った意味ってなんだろうって思ってしまうことがあったこと。でも今はメンバーやファンがいるから何度生まれ変わっても自分になりたいと思うしファンがいるから頑張れていること。

気付いたら泣いていた。会場もみんな泣いていたと思うし、推しくんも時折言葉に詰まっていた。あそこまですすり泣く声しか聞こえないライブ会場を私は見たことがない。嘘であってほしいくらい悲しい話をしているのにたまに困ったように笑う推しくんが悲しくて、それでまた泣いた。それはもう、我ながら引くくらい泣いた。

楽しいライブでそんな話をする?という意見もあるかもしれない。お涙頂戴の茶番劇じゃんと思う人もいるかもしれない。

でも私はそもそも推しくんの勇気ある告白を知って彼を応援すると決めた身なわけだし、今回もファンに対して誠実に向き合おうとしてくれたんだろうな、と好意的に解釈するちょろおたなので、聞かせてくれてよかったなという感想しかない。

「これからもきみがいるから頑張れる」「絶対にここよりもっと大きなところへ連れて行く」

好きな男がそう言ってくれたから、泣いた甲斐もあったと思う。

 

何を書けばいいのかわからなくなってきた。とにかく、最高に楽しかった。それが言いたかったのだ。

推しくんがもっと大きな舞台へ連れて行ってくれることを楽しみに、これからもしがないオタクとして推しくんを応援していきたい。それが今の私の素直な気持ちだ。

支持率が上がらないので飛び出しようがない

推しの誕生日会で出た「牧場物語キミと育つ島ではその辺に生えているカラフルな草を食べると体力が回復するので私たちは牧場主のくせに卵や牛乳を口にすることはほぼなく毎日のように草を貪り食っていた」という話題でめちゃくちゃ盛り上がったので、帰りがけに閉店時間間際のブックオフに駆け込み「とびだせ どうぶつの森」を購入した。

キミと育つ島が見当たらないが故の苦肉の策だったのだが、これが想像以上に面白かったので、2019年の夏を迎えようとしているこんな日に敢えてとびだせどうぶつの森、通称とび森の話をしたいと思う。

 

これを読んでくれているオタクはどうぶつの森シリーズをプレイしたことがないかもしれないので、一応簡単にゲーム内容を説明しておこう。

どうぶつの森シリーズは、引っ越し先の村で貝やら魚やら虫やらを乱獲して売り飛ばし、溜まったお金で借金を返済したり村の環境を整えたり住民たちのお願いを叶えたりする、基本的にはそれだけのゲームだ。私の母は「拾い乞食ゲーム」と呼び続けているが、現代だとそれはNGワードな気がしてならない。

ゲーム内の時間は現実世界とリンクしていて、ゲームを放置すれば雑草は生えるし家には黒いアレが出る。住民の間で死亡説が流布したりもする。心配してくれているなら誰か家まで来てくれればいいのに。ベッドで寝てるから。

 

そんなどうぶつの森シリーズのひとつが上述したとび森なわけだが、とび森はすごい。私のどうぶつの森に関する記憶はDS版の「おいでよ どうぶつの森」で止まっているのだが、比べ物にならないほどすごい。

基本的に私がかつてプレイしていた「おいでよ どうぶつの森」には「労働」という概念がない。チュートリアルでは一瞬だけたぬきち(半強制的に借金を背負わせてくるタヌキ)の店で働かされるが、そのあとの私たちは無職だ。フリーターとかでもなく、単なる無職。

しかしとび森での私たちは一文無しの無職ではない。なんと「新しい村長」として村に迎え入れられるのだ。主人公の「人違いだ」という主張を1ミリも聞いてくれない村ではあるが、秘書のしずえちゃんは可愛いし、住民たちもめちゃくちゃ歓迎してくれるので悪い気はしない。

ちなみに本物の新村長からは

「ダルかったからバックれちゃった☆がんばってね☆」

みたいな感じの手紙が届く。私たちの暮らす村は穏やかなスローライフを楽しむための場所なので見逃したが、ここが殺戮ランドなら貴様の命はなかったからな

 

ちなみに、今はまだ住民からの支持率を上げる段階で足踏みをしているので正式な村長には就任できていないのだが(前村長、引継ぎくらいは済ませてから引退するべきでは?)、正式に村長になると公共事業を発注できたり条例を制定できたりするらしい。

費用は自腹というのが気になるところだが、「おいでよ」時代の私は「なぜ無職の私が自腹で村の環境を整えているんだ……?」という疑問を抱きながらプレイしていたので、この公共事業制度は本当にありがたい。私が村長だというなら村の環境を整える意味も分かる。でも税金でやってくれ

 

その他にも南の島へ行けるようになっていたり(自宅のローン一段階目完済と正式就任が条件らしくしばらく行けそうにない)村の北側に商店街が形成されていたりして、「とびだせ」で私が数年間暮らしたふじ村がいかに僻地だったのかということがよく分かった。

なんと素潜りまでできるらしい。ふじ村では釣竿を振り回すことしかできなかったのに。

 

とにかくしばらくは南の島でのバカンスを満喫するために住民に媚を売るとのコミュニケーションに励むことにしようと思う。マジでめちゃくちゃ面白いから「おいでよ」で記憶が止まっているオタクは一度プレイしてみてほしい。。

人生で一番好きな男の話

紀田正臣という男が好きだ。どこが好きかと問われれば存在としか答えようがないくらいには好きだ。

 

私が正臣に出会ったのは、まだランドセルを背負っている頃のことだった。

小学6年生だった私はその当時某国擬人化ジャンルのオタクをしていて、推し受け原理教の過激な信者だったせいで他カプの友人と大喧嘩を繰り広げ1週間ほど口を利かなかった程度には厄介な腐女子だった。当時は本気で「は!?!?こいつ頭おかしいでしょ」と思って戦っていたのだが、今思い返すといくらなんでも厄介オタクがすぎる。カップリングの多様性は(原作エアプゴミ解釈でない限り)極力認めるべきだ。

 

そんな私に(大喧嘩を経て無事に和解した)友人が勧めてくれたのがデュラララだった。

 

「前髪が短い男が主人公で最高」

 

タイトルと今現在アニメが放送されているということ以外に彼女から得られた情報は誇張抜きでこの程度だったので、12歳の私は帰宅してすぐパソコンに向かい該当のアニメについて調べてみることにした。デュラララ、検索。

とりあえず分かったことは「原作小説が電撃文庫から刊行されている」ということだったように思う。その2年ほど前に電撃文庫作品を狂ったように追いかけていたせいか当時「電撃文庫から出ている作品はすべからく面白い」という謎の信仰を抱いていた私にとっては、「原作が電撃文庫だ」という、それだけで十分だった。

 

そのあとの私がどうしたのかは、不思議なことにいまひとつ覚えていない。アニメを録画して、近くの書店で原作小説を買える分だけ買いこんだことは覚えているのだが、デュラララという作品に初めて触れた時の感情はなぜだか全く覚えていないのだ。

次に覚えているのは、Pixivで戦争コンビの二次創作を読み漁っていたことだ。今思うと解釈が未熟でお恥ずかしいのだが、当時はまだ腐女子としての自我が育ち切っていなかったから大衆に迎合して当時流行していた解釈のシ〇イ〇を大量摂取していたように思う。ちなみに正直なところ今でも戦争コンビのことは好きだが、まずどちらかといえばイ〇シ〇だと思うし、何より腐女子としての自我が育ってしまったので「ふたりの間にある感情を愛だとか恋だとかそういう陳腐な言葉で片付けるのはどうかと思うんですよね、あのふたりの間にあるのはそんな安っぽいものじゃあないでしょう(早口)(コーナーで差をつけろ!)」というキモオタムーブをかましてしまう前に口を噤みたいというのが正直なところだ。

 

私のカプ観の話はどうでもいい。

その次に覚えているのは、「紀田正臣、この世で一番好きな男かもしれない」という気づきだった。どうしてそう思ったのかは本当に覚えていない。物心ついたころから喧嘩が強く軽薄な物腰でその割に芯が通った物言いをする男が好きだったから、単純に性癖にクリティカルヒットしたのかもしれないし、何か明確な理由があったのかもしれない。ただひとつ思い出せるのは、原作3巻をカバーがボロボロになるくらい読み返していたということだ。結局未だに私が一番好きなのは原作3巻かもしれない。

 

紀田正臣は、「普通」の男だ。

あの世界の中で、常人離れした戦闘能力を持つわけでもなく、人としての道を踏み外し続けていられるほどに倫理観が欠如しているわけでもない。ただ人より少しだけ喧嘩が強い、ただそれだけの男だと思う。非日常を己のものにするには優しすぎるし、臆病すぎるし、それなのにただの善人として生きていくには些かばかりずるすぎる。卑怯で臆病でずるくて弱くて、それでもやっぱり優しい、「普通」の人間。

たぶん私は、紀田正臣のそういうところが好きなんだと思う。

己の臆病に、卑怯に、真っすぐ向き合うことはきっと苦しいことだ。私はずるい人間だから、向き合わずに済むなら向き合いたくないし、向き合わずにはいられない状況でもやっぱりできることなら向き合いたくない。でも正臣は、己の罪を認めて、背負って、それでも前に進もうと足掻くのだ。その足掻き方も決してスマートなわけではない。もっとうまいやり方があるのかもしれないと思う。けれど、向き合うこと自体が、彼の勇気であり、強さだと思う。

 

何が言いたいのかわからなくなってきてしまった。

私は善人ではなくて、さりとて悪人でもない正臣が好きだ。弱くて卑怯で臆病で、強くて誠実で優しい正臣が好きだと思う。

 

彼は物語の中の住人だから私と同じようには年を取らないけれど、そんなことはわかっているけれど、仮に私が彼と出会った年から彼と私が毎年同じように年齢を重ねてきたとすると、正臣は今年で26歳になることになる。そんなに長い間、彼を好きでいられたことを誇りに思う。

私にとって今までもこれからも、紀田正臣という男は生涯の推しであり続ける。それだけは自信を持って言える。

 

紀田正臣くん、生まれてきてくれてありがとう。大好きです。

推しがラブソングをリリースした話

突然だが、推しの話をさせてほしい。

グランブルーファンタジーに登場する、サンダルフォンという名前の男の話だ。

 

サンダルフォンは、作中世界の管理機構にあたる「天司」と呼ばれる人工生命体だ。

傑作と呼ばれた天司長・ルシフェルが唯一手ずから作り上げた天司である彼は、なんやかんやあって作中では一度世界を滅ぼそうとしている。そのあたりの事情を詳しく説明するとそれだけで軽く1時間はかかるので、グラブルを知らないオタクは「滅ぼそうとしたんだなあ」とだけ思っていてほしい。

 

そんな推しが、先日キャラソンを出した。

タイトルは「Ain Soph Aur」。エデンの園に植えられていた生命の樹に由来する語であると同時に、プレイアブルキャラクターとして実装されているサンダルフォンの奥義名でもあり、さらに言うならば先日まで開催されていたグランブルーファンタジー5周年イベント「どうして空は蒼いのかⅢ」のサブタイトル「000」もこのアイン・ソフ・オウルから来ている。

まぁそれはいい。私は浅学で生命の樹(厳密に言えばセフィロトの樹)のことをいまひとつ理解できていないし、奥義名がそのままキャラソンのタイトルに……というのも、まぁ、ありがちだよなと思う。だからそんなことはどうでもいいのだ。

 

ただ、歌詞の内容はどうでもよくなかった。

 

 キャラソン界において、「明らかに特定の個人を意識して作られている歌」という存在はそう珍しいものではないと思う。

少し前の話をするなら黒〇のバ〇ケの高〇〇成のキャラソンが凄かった。あの男はすごい。キャラソンで「うちの偏屈なエース様に万歳」と歌い上げただけでも驚いたのに、その後リリースされたエース様本人とのデュエットソングでは「愛すべき我がエース」と言ってのけていた。いつの間にお前のものになったんだ。

そのほかの例を挙げるなら、最近だとあ〇さん〇る〇ター〇!の朔〇〇月のソロ曲も話題になっていたように思う。「かなわない恋に似た切なさ」を抱いているのは我々に対してではないことを、古株の転校生である我々はよく知っている。まぁ私は彼女じゃないからな。

 

ただ、「Ain Soph Aur」はこの面々に勝るとも劣らないクソデカ感情の詰め込まれた曲だった。

百聞は一見に如かずともいう。まずはこれを見てほしい。

 

サンダルフォン(鈴村健一) Ain Soph Aur 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 

…………………………………………いや何これ。

 

なんだこれ。本当に何なんだ。

このキャラソンが「ラブソング」と呼ばれているのは知っていた。でもそれはいつものオタクの妄言だと思っていた。

でもこれはだめだ。擁護のしようがない。どう頑張ってもラブソングだ。

 

ルシフェルから「不器用な愛情」を与えられたのだとサンダルフォンは歌う。私が考えた歌詞ではないのに。公式からリリースされた、正式なキャラクターソングなのに。

ならせめて見届けよう ”これから”を その目と共に」と歌い上げるのだ。天司長の地位を継承するというルシフェルの遺言を聞いて、世界なんてどうでもいいと叫んだサンダルフォンが。

ほろ苦い記憶 焦がれては届かず泣いて」に至っては、言葉選びがもうほとんど西野カナのそれだ。2000年以上を生きた人工生命体なのに。幾つもの島を落とし、嫉妬心にかられてルシフェルの直属の部下たちの羽を毟った(※公式設定)男なのに。

 

無私無欲だったルシフェルが、最期にようやく口にした自分自身の願いが「もう一度あの中庭で君と珈琲を」だった。

そしてサンダルフォンは、「Ain Soph Aur」で「願うなら、叶うなら、もう一度 貴方と二人 珈琲を」と歌っている。もう一度言うがこれは公式からリリースされたキャラクターソングだ。私の妄想ではない。

 

歌詞の中に「ヤバくないところ」がないので特に感情の圧が凄まじいところを抽出したが、本当に、歌いだしからラスサビまでの全ての歌詞がルシフェルに関係しているのだ、この歌。そんなことってある?私の妄想じゃないのに。鈴〇〇一氏が歌っているのに。

 

もし少しでも興味を持ってくれたジャンル外のオタクがいたら、このMVを見てからグランブルーファンタジーのインストールを検討してみてほしい。

もちろんこれも断じてファンが自作した手書きMADではない。公式が制作した、正式な、MVだ。

 

腐女子たちよ、聞いてくれ。これが私の推しだ。

これが、グランブルーファンタジーだ。

 

youtu.be

新元号は「愛は、矛盾するモノだぜ?」にしてほしかった

TLの腐女子は、1年ほど前についったらんどを賑わせたえっちなお兄さんのことを覚えているだろうか。

お空を旅する某ゲームの周年イベで完璧すぎるビジュアルと声帯、そして見事なまでのアヘ顔を引っ提げて登場した堕天司・ベリアル。私のEDを治してくれた彼が、今年も登場したのだ。周年イベに。

 

そんなわけで、以下に綴るのはグランブルファンタジー5周年イベント「どうして空は蒼いのかPart3 000」に関する正気を失った私の感想である。ストーリーの都合上、第一作にあたる「どうして空は蒼いのか」や第二作にあたる「失楽園」のネタバレを大いに含むのでネタバレが気になる人は注意してほしい。

ちなみに、私は頭のいいオタクではないので有益な考察は一切含まれない。私以外の多くのグラブルのオタクは頭がいいので、有益な情報を得たいときには他のオタクの感想ツイを漁ってみることをおすすめする。私はファーちゃんがパンデモニウムを材料に巨大な原爆を作って世界を滅ぼそうとしていたのでは?(意訳)という考察ツイを見かけてひっくり返った。頭が良すぎる。

 

 

結論から言うと、「どうして空は蒼いのか」は「愛の物語」だった。

 

 

「愛だよ、愛」

PASHでベリアルがそう宣った時は胡散臭すぎて笑ってしまったが、今となってはあの台詞にも真顔で頷く他はない。どうしようもなく、あれは愛の物語だった。

 人間に、あるいはそれに類する存在に、愛という感情が芽生えるのは分かる。でも、天司たちは、あくまで管理機構に過ぎないのだ。大好きな人に認めてほしい、ただその一心で災厄の天司と化したサンダルフォンがイレギュラーなだけで。彼らはきっと、私たちが思うような意味では誰かを愛せない。

 

そう思っていた私が馬鹿だった。彼らはきちんと、誰かを愛していた。

 

ベリアルにとってルシファーはたった一人の「救世主」で、あの軽薄そうな言動の裏で2000年以上をほとんど眠らずに神経を張り詰めたまま過ごしていて、なんて、そんなこと誰が想像していただろうか。同人誌でも見たことのない、強烈な心酔を公式が提示してくるなんて。

ルシファーがエテメンアンキに登る、その時間稼ぎをするためだけにぼろぼろのまま特異点たちの前に立ちふさがる、だとか。崩壊しつつあるエテメンアンキに瀕死の状態で駆けつけて交渉用の騎空艇を用意してまでルシファーを助けようとする、だとか。

挙句の果てに「いよいよ本当に困った上司だ。ま~たオレが体を張るのかよ」と来た。次元の狭間に吸い込まれかけている男の台詞ではない。しかもこの直後にベリアルは笑うのだ。堪えきれない、といった調子で。私は愚かだからその笑いの真意を推し量れないけれど、きっとベリアルにとっては次元の狭間に閉じ込められることさえこれまでの行動の延長に過ぎないんだろうなとは強く思った。

 

「別に何も変わってない。今も昔もファーさんのために動いてる」

 

これがつまり、ベリアルの全てなんだろう。

 

恐ろしいのは、ルシファーもベリアルのそんな行動を憎からず思っていそうだということだ。

廃棄してやろうかと脅すわりには一向に廃棄する気配がないし、復活した直後だって(意に沿わない形での終末計画を進めていたという点ではベリアルも同罪なのに)バブさんだけを仕留めるし、最後の最後まで「お前も矛盾か」という呆れを滲ませることこそあれどベリアルを拒絶することはないままだ。矛盾するような男は、打ち捨てておけばいいのに。合理主義のルシファーらしくない、と思う。いや、らしくないなんて言いきれるほど私は彼のことを知らないのだけれど。

たぶん、つまるところ、「愛は、矛盾するモノだぜ?」ということなのだ。何度読んでも良すぎるなこの台詞。令和の次の元号にしてほしい。愛は、矛盾するモノだぜ?元年から始まる新時代を築き上げよう。

 

 

チーム堕天司の件で気が狂いすぎたのでルシサンの話がまだできていなかったことに気付いた。なんてことだ。

先に明言しておきたいのだが、私はあのエンディングをどちらかといえば「是」としている。100点満点ではなかったことは確かだが、拗れに拗れたあのふたりの関係が100点満点に着地することはほぼ不可能なのではないかと思っていたから、むしろよくあそこまできれいにまとめたなと感心しているくらいだ。

 

「役割がなければ上下関係もない」。故にサンダルフォンの言葉は己にとっての安寧だったのだと、「どうして空は蒼いのか」でルシフェルは口にしている。

でも実際は、そこには上下関係があった。と言うと語弊があるような気もするが、少なくともふたりはきっと厳密な意味で対等ではなかった。最高傑作たる天司長として誰からも慕われていたルシフェルと、ただの「中庭のサンちゃん」でしかなかったサンダルフォンとの間には、比べるのも馬鹿らしいくらい大きな溝があったはずだ。ただ、ルシフェルがそれに気付いていなかっただけで。

けれど、エンディングで2000年越しにきちんと向き合ったふたりには、きっと正しい意味で役割がなかったし、上下関係もなかった。あの瞬間、ルシフェルはただのルシフェルだったし、サンダルフォンはただのサンダルフォンだった。

だからルシフェルは分かりづらい冗句を飛ばしたし、サンダルフォンは2000年前にそうしていたような無垢な表情で笑ってみせたのだと思う。それはきっと、ふたりにとって私たちが思うよりずっと幸せなことだった。そう思いたい。

 

もちろんあれが完全無欠のハッピーエンドかと問われれば答えは否だ。私はゴリゴリのハピエン厨だし、当たり前にルシフェル様にも復活してほしかった。グラサイにルシフェル様を載せたかった。でも無理なのだ。だからたぶんあれが、2000年間拗れ続けたふたりの間に漸く生まれた、悲しい最適解だったのだろう。悲しすぎるけど。

 

「世界中の人々が許さずとも、幾星霜の時の中で憎まれようとも、君という存在は永遠に私の安寧だ」

 

世の中にこんなに美しい告白があるとは思わなかった。「頼むよ、俺の救世主」といい勝負なのではないだろうか。

これ、恐らくは「どうして空は蒼いのか」でサンダルフォンルシフェルに叫んだ「俺を憎め!滅ぼせ!罰しろ!」のアンサーにもなっているのだと思うのだが、それを考えるとなおのこと凄まじい告白の台詞だと思わざるを得ない。

サンダルフォンは大罪人だ。擁護のしようもない。「貴様の愛するモノを全て!この俺が粉々に破壊してやるぞ!」(お前が粉々になるんだよ!)という行動原理のまま災厄を起こしたのであろうサンダルフォンは、世界を滅ぼそうとしたし、四大天司の羽を毟ったし、数多くの島を落としたし、特異点を空の底へ突き落した。どれだけ責められても申し開きのできないようなことをした男だと思う。でも、ルシフェルはそんな彼を許し、あまつさえ、永遠に私の安寧だとすら口にする。そんなことってある?ルシフェルは、「無私無欲で公明正大な」つまらない天司だったはずなのに。許すのだという。愛するのだという。それって、それってとってもすごいことなんじゃないだろうか。

そしてそれに対するサンダルフォンの答えがこれだ。

 

「はい!貴方の存在も永遠に俺の光です」

 

自カプが、公式で、Lemonに寄せてくるとは思わなかった。

それにしてもこの台詞、すごい。あまりにもすごすぎる。サンダルフォンは基本的に捻くれた男だ。仲間に対してですらやたらと斜に構えた物言いをする。そのサンダルフォンが、よりにもよってルシフェルに対して、ここまでまっすぐな肯定の台詞を吐くだなんて。

もっと照れると思っていた。いやそれはさすがに二次創作の読みすぎかもしれない。でも、でも、そんな。よかったねなんて陳腐な言葉で片付けたくないが、それ以外に感想が浮かばない。よかったね、サンダルフォン。ようやく、ようやく真っすぐ向き合えて。

 

そうして、極め付けに、「行ってきます」「行ってらっしゃい」の応酬だ。

作中で当人たちが口にしていた通り、あの瞬間、ふたりの立場は確かにかつてのそれと逆転していた。ふたりの間に必要な変化だったのだろうと、考察が及ばないなりに思う。幸せになってほしかったから辛かったけど。でもやっぱり、あれは愛し合う存在同士のやり取りだった。あのふたりは、愛し合っているのだ。その感情に名前を付けるのは陳腐な気がするから、ここでは敢えてただ「愛」とだけ呼ぶけれど。

 

ルシフェルが生まれて初めて抱いた幼い願いが、サンダルフォンに向けた初めての問いが、叶ってよかった。

うまく言えないけれど、私はそう思う。長い月日を特異点と過ごしたその先で、いつかまたふたりが巡り逢い、またふたりで穏やかなコーヒーパーティーができるようになること。それが今の私の問いだと、今はそう言いたい。

 

ありがとう、グランブルーファンタジー

 

全ての天司に、あるいは全ての生きとし生けるものに、幸せが訪れますように。

11年間かけて2人しか見つけられなかった同カプ者を一気に3人も見つけた女の話

あまりにも誰にも伝わらないので公言はほとんどしてこなかったが、11年間ずっと大好きなカップリングがある。

 

今でこそどうしようもないクソ雑魚腐女子だが、私は元々夢畑で育った人間である。
ちなみに初恋の人はフ〇ッド・ウィー〇リーだった。シリーズ第一巻を初めて読んだころから好きだと騒いでいる記憶があるので、おそらく幼稚園児の頃から私は夢女だったのだと思う。

 

さて、そんな私が10歳になったころ、某ライトノベルシリーズの広告が愛読していた子供向けの新聞に載ったことがあった。
第1章が児童向けの文庫から装丁を一新して発売されるというその作品の、3巻の表紙を飾っていた男。
その男(以下Tとする)に目を奪われた私は即座に近所の書店に走り、1巻から3巻までを購入した。速読だけが取り柄の女なので、読み終えるまでには確か1日もかからなかったと思う。

 

「え、Tって世界で一番かっこよくない?」

 

読み終わった私が抱いた感想はそれだけだった。
ガチ恋の始まりである。

 

ところでこの作品、実は1巻が刊行されたのが1989年というなかなかのご長寿ジャンルだった。
私がハマった時点ですでに1巻が初めて世に出てから18年の月日が流れている。当然ながら、関連作品の数はかなり多かった。
しかし私はTのガチ恋夢女。古い作品だから、お金がないからといって諦めるわけにはいかない。
お小遣いをはたいて軽く20冊はあった既刊を全巻揃え、私が生まれるよりも前にコミカライズが出ていたと耳にすれば親に頼み込んで近隣の古書店をしらみつぶしに探し、Tが登場するシリーズのおよそ100年前を描く同作者の別シリーズはどこの書店でも見つからなかったので取り寄せて購入した。本当はOVAも欲しかったのだが、媒体がDVDではなくVHSだったために我が家には再生環境がなく諦めた。
(ちなみにOVA版のTの声は古川登志夫氏が演じている。当時はさほど驚かなかったが、今思うと時代を感じる)

 

本編を毎日数冊ずつ持ち歩き読み返すという友達がいなかったことがよくわかる生活を送っていた私は、それだけでは飽き足らずに生まれて初めて二次創作の世界に飛び込んだ。
まだ個人サイトが活発だった時代とはいえ、いかんせんジャンル自体がマイナー気味なせいで二次創作サイトの数はそう多くなかった。
ジャンルの覇権カプがド地雷だったのでそれなりに辛かった覚えもあるが、いかんせん供給が多くなかったからわがままは言っていられなかった。
とにかくありとあらゆる作品を読んだ。当時そのジャンルで活動していたサイトはほとんどすべて網羅していたと思う。

 

そんなある日、私が出会ったのが冒頭で触れた「11年間ずっと大好きなカップリング」である。
実は前述した別シリーズに、Tとその幼馴染、それぞれの曽祖父が登場しているのだが、数少ない二次創作サイトの中でひとつだけ、この二人の組み合わせを扱っているサイトがあった。
まだBLという概念すら知らなかった私は、ふたりが男同士ということも忘れてそのカプ小説を読み始めた。
なにせ久しぶりに目にした覇権カプ以外の作品だったものだから、地雷原の中を毎日走り続けていた私にとっては砂漠の中のオアシスにも等しい存在に思えてしまったのだ。

 

さて、簡潔に言うとこのカップリングが素晴らしく「良かった」
そもそも付き合っていないほうがおかしいレベルで運命に祝福されているこの組み合わせが良くないわけがないのだが、BLのびの字にすら触れたことのない私にすら分かるほどにこのカップリングはバクモエだった。

 

いうなれば救済と信仰。
私がいまだに愛してやまない愛の形のひとつを、この二人は見事に体現していた。

 

地雷原における完璧なオアシスを見つけた私は、それこそ毎日のようにこのサイトに通い、5作品しかなかった短編を何度も何度も読み返した。
今でもあのサイトには感謝している。あのサイトがなければもう少し早めに私はあのジャンルから降りていたと思う。

 

しかし時は移ろうもので、中学生になるころには私はジャンルを移動していた。
そうして成人するまでジャンルを転々とした私は、ああも愛していたあの作品関連の話をほとんどといっていいほどすることはなかった。
周りにあの作品をわかる人間がいなかったせいで話すに話せなかったし、反オタク派である両親に促されてあれだけ必死で集めた本をほとんど手放してしまったせいで布教のしようもなかった。

 

とはいえ、私は依然としてあのオアシスカップリングが大好きだった。
語らう相手もいなければ需要も供給もなかったので滅多に話題にはしなかったが、時折TwitterやらPixivやらで検索をかけては何一つとしてヒットしないことに深く悲しんだ。

11年間自カプを追いかけて、見つけた同カプ者はあのサイトの管理人様を含めてたったの2人だけだった。ちなみにその2人はどちらも現在インターネット上での活動は確認できず、あのサイトも何年か前から検索にすら引っかからない。
どうにか布教できないものかと原作を求めてAmazonやら古書店やらをよく覗いたが、何度調べても見つけられるのは常にKindle版だけだった。彼らを知るにはまず第一部の6巻から、というのが私の信念なのだが、恐らく第一部は絶版になっているのだと思う。第二部の完結ですら10年近く前のはずなので仕方ないといえば仕方ないが、ジャンルの古さを少しばかり恨んだ。

 

だからつい先日二人のキャラ名を並べて検索をかけた時も、脳裏をよぎったのは期待ではなく「どうせ誰もいないんだろうなあ」という諦めだった。
開拓する努力をせずして何を、と思われても仕方ないが、本当にそのくらい自カプには人の気配がなかったのだから許してほしい。
自カプがマイナーだなんてことは、数年間定期的に思いつく限りのキーワードで検索をかけ続けた私が一番よく知っている。
きっと今回も自分のツイートと全く関係のない他ジャンル関連のツイートが引っかかるだけだ。

 

けれど違った。
Twitterの検索画面をぼんやりとスクロールしていた私は、夜中だというのに変な声を出して飛び上がった。

 

自カプの話をしている人間が、確かにそこにいた。

 

しかも3人もいた。0人がいきなり3人になったのだ。正直気が狂うかと思った。
半泣きで友人に長文のLINEを送り付け、勢いに任せて彼らのもう一つのバイブルであるスピンオフ作品をAmazonで購入した。1冊持ってるのに。
どうやらこのスピンオフ作品の2巻が発売された影響で若干ではあるがジャンルに人が戻ってきているらしい。もちろん2巻も躊躇わずにAmazonで注文した。

 

さらに信じがたいことに、あれだけ見つけられなかった原作がAmazonに出ていた。中古ではあるが、第一部第二部ともに全巻セットで信じがたいレベルの大安売りをされている。正気か。在庫があるならもっと早く出してほしかった。
これも近いうちに買うつもりなので、友人各位は今のうちに私の布教活動の犠牲になる覚悟を決めておいてほしい。

 

長々と書いてしまったが、もしこのクソ長文ブログを読んでくれた心優しいオタクの中に自カプがマイナーで苦しんでいる女がいるのなら、決して希望を捨てないでほしい。
私の自カプは私が生まれるよりも前に刊行された特に有名なわけでもない作品の、流行ったわけでもないカップリングだったが、今になってようやくこうして同カプ者を見つけることができた。しかも3人も。
自カプが大丈夫だったのだから、あなたの自カプもきっと大丈夫だ。

EDが治った話

大学生になる頃から長らく患っていたEDが治った。
これだけだと誤解しか生まないような気はするが、しかし実際のところ治ったのだからこう言うしかない。


EDが、治った。

 

イッタランドに生息している腐女子なら、ここ数週間で一度は某お空ゲームにどエロイ歩く18禁お兄さんが登場したという話を耳にしているのではないだろうか。
最高の声帯と高すぎる顔面偏差値、おまけに堕天司というチートスペックを引っ下げて登場した彼は、あらゆるイメージを裏切る余りにも下品なセリフで一躍時の人となった。
気になるユーザーは「ベリアル セリフ」で検索してみてほしい。イベントストーリーからバトルボイスまでとにかく全てがどうしようもないのがよくわかると思う。

 

それはさておき、私は大学生になる頃からEDに悩まされていた。
平たく言うと、版権二次創作BL作品に食指が動かなくなっていたのである。
もちろんBL自体に興味を失ったわけではない。いわゆる商業BLは読んでいたから、ドハマりして作家さんにファンレターを送った作品も、自宅で変な声を漏らしながら読んだ作品もある。
しかし、高校生の頃は友人と8時間語り続けるほどに熱中できていた版権二次創作に、私はなぜだかさほど惹かれなくなっていた。

 

「気が狂うほど熱中してるジャンルも最近ないし、推しはいるけどpixivでカプ名検索し続けるみたいなこともしなくなったし、私もライトなオタクになったよなあ」

 

正直なところ、そう思っていた。

 

そんな私をある日襲ったのが、先述したえっちなお兄さん出現の報である。
率直に言って、私はえっちなお兄さんが好きだ。さらに厳密にいうと貞操観念の死んでいる男がどうしようもなく好きだ。
どのくらい好きかというと、商業BLの帯に「ビ〇チな隣人」というようなノリの煽りが載っていたら気持ちが一気に買う方に傾くくらい。わかりにくいかもしれないが、とにかくめちゃくちゃ好きなのだ。

 

ほとんど一目惚れだったと思う。
今までほぼ興味ゼロだったお空をインストールするかどうか唐突に悩みだし、深夜の通話で友人に諫められた。
お前それ以上ソシャゲ増やしてどうすんねん(意訳)
いやまあ確かにごもっともである。そもそもえっちなお兄さんはプレイアブルキャラではない。敵だ。
入手できるならともかく敵につられてソシャゲを増やしてどうする。頭も黄色くないし私はそもそももうちょい細身の方が好みだ。よし、やめよう。

 

そう決意したはずなのに、翌日の夜には私のスマホにグ〇ンブ〇ーファ〇タジーがインストールされていた。

 

そこからはもう、あれよあれよという間に沼に落ちていった。
ドスケベお兄さんの絡む作品を片っ端から読み漁った。Twitterで数時間おきにカプ名を検索したのは何年ぶりだっただろうか。
同カプの神文字書きたちがTwitterをしているのを見つけるたびにフォローした。
どんな妄想ツイートが流れてきても興奮した。

 

長らく忘れていたクソ腐女子としての感覚を、私は思い出しつつあった。
心のEDが、ようやく治ったのだ。

 

そこからの立ち直りは早かった。
自カプはTwitter性の行政特区と揶揄されていた通り、えっちな小説のえっち純度が異常なまでに高い。
♡喘ぎありませんという注意書きを私は初めて見た。なんやねんそれ。
幸いにして私はハートが乱舞し濁音が入り混じる作品のことを心の底から愛しているので、自カプの小説を読んでは一人で深夜に拍手をし踊り狂う生活が始まってしまった。半ば狂人だと我ながら思う。
しかし狂人で良いのだ。腐女子でいることがこんなに楽しいと思い出せたのだから、それで構わない。

 

ベリアルお兄さん、本当にありがとう。
アナゲンネーシスにあっさりやられたひとりのキモオタクソ腐女子として、心からの感謝を捧げます。